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電波男
電波男
posted with amazlet on 06.05.12
本田 透
三才ブックス (2005/03/12)
売り上げランキング: 1,347

今さらながら読んでみました。

現在は「恋愛資本主義」が崩壊していく過程にあり、これからは「萌え」の時代である、というのがメインテーマ。極端な主張だが、あながち外れていないと思う。

昨今話題の「格差社会」は、恋愛においても起きている。と言うよりは、先取りしていると言っても良いだろう。マスコミに煽られた価値観で恋愛の基準が定められ、そこから外れると残酷なまでに減点される。一定基準を満たさないものは、端から相手にされない。こんなものは本当の恋愛ではない。

それでも、高度成長やらバブルやらで全体が右肩上がりの成長をしているうちは、多くの人がその価値観の中でうまくやっていけた。多くの人が「ちょい勝ち組=中流」だったと言える。しかし、今は違う。少数の「大勝ち組」と「その他大勢=実質負け組」になってしまった。これにより、「恋愛資本主義」はその価値観を保てなくなり、崩壊する。

一方、とっくに「恋愛資本主義」社会からはじきだされているオタクは、すでに2次元世界の「萌え」に救いを見出している。脳内で理想の愛を貫くことが出来るからだ。この辺の主張は一般にはかなり危ないと思われるだろうが、3次元に絶望すれば行き着くところはそこしかない。好きでやってるんじゃなくって、そこに追い込まれてしまってるんだよ!って主張はその通りだと思う。

本書ではこれをさらに推し進めて、2次元の「萌え」により本当の意味での愛とは何かに気付き、3次元にも愛を取り戻すことが出来るはずだ、という願いが込められている。多くの人にとって現実はそこまで酷くないし、「萌え」だけで愛が取り戻せるとも思えないが、信じてみたくなる。それがこの本の魅力だろう。

**

その他雑感を。

不幸を煽って救いの道を示すところは宗教的である。すでに不幸と思っている人には救いとなるが、現状がそれなりに幸せな人には、気付かなくて良い不幸に気付く恐れがあるのであまりお勧めできない(^^;

「萌え」概念の発生過程を紹介する中に、少女漫画/アニメに関する記載が欠けているのは惜しい。だからと言ってこの本の主張自体に大きな影響はないので、どうでも良い事ではあるのだが、オタク的にはひじょーに気になるのであった(^^; 私的にはエヴァなんかよりセーラームーンの影響が大きかったからなおさら(笑)

脱オタ絶対反対の主張は気に入った。

著者の過去経歴をどこまで信用するかは微妙なところだが、実際、残酷なまでの差別があるのは事実だ。誰が何と言おうと事実だ。

妙にインテリが入った薀蓄は、嫌味寸前。知らないと今ひとつ楽しめない。が、わざと狙ってるみたいなのでよしとする。セカチュウの原作は限度を超えて酷かった(苦笑)。

世界の中心で、愛をさけぶ。

そう、あのセカチュウ。

昨日、映画を見てきた。

あれだけ原作を散々にコケ下ろしておきながら、なんだかんだでテレビドラマも見てたりする。

何でそんなに興味があるのかというと、自分的に凄く違和感を感じるものに、なぜこれだけ多くの人が共感したり、感動したりしているのか、ということ。

映画を見ても、私は泣けなかった。主人公たち(1969年生)とは世代的にほとんど一緒だし、わりと田舎に住んでいたから心象風景的に被るところもある。さすがにカセットテープで交換日記をやったことはないが、手紙の交換はやってた。だったら泣けてくるだろう、ふつー。

何に違和感を感じるのか。多分、自分は淡々とこういう事態を受け入れるんじゃないかと思う。あんな風にもがいたりしない。少なくとも表面的には。純愛という言葉でくくられる、ただ、人を好きになるという気持ち。思わずわけ分からない行動に走ってしまう衝動。どうも、ここら辺の感情が自分には欠けているか、ずれている気がする。


それでも、原作、映画、テレビドラマでは、自分の受けた印象はかなり違った。それぞれに持ち味が大きく異なっているからだろう。

テレビドラマは作り物感が一番強いが、感情表現が一番分かりやすい。一番簡単に感動できる。いや、させられると言ったほうが正しいか。嫌いではない。まだ放映途中なので、総評は出来ない。

映画は、リアルさでは一番。それゆえ、自分だったら、という置き換えができてしまう。その上で共感できないから、感覚が醒めてきてしまうのだ。
とは言え、自分の中学高校の頃の姿が自然と思い出されたのは映画だけ。さすが。
ただ、朔太郎が、亜紀の死を受け入れていくくだりだけは違うと思う。「後片付け」~オーストラリアで骨をまくラストシーン。
違う、、、と言うか、あのあっさり感だけが、自分の感覚と同じなことに違和感を覚える。そこまで丁寧に描いておきながら、間に合わせで終わらせてしまっているように感じられるのは穿ちすぎか?受け入れるのに時間がどれだけかかるかが違うだけで、実はみんなそんなもんなのか?

原作は、、、あえて言えば、素朴さが良いのかも知れない。あまり文章を書くのが得意じゃない人が、手記として書いたような。それを狙って書いたのだとすれば、なかなかのものだと思う。私はその文章表現にいらついて、もう全然ダメダメだったが(^^; 話の筋自体は悪くないと思っている。

#ここを読んでる人で、この話に興味がある人はほとんどいないだろうなぁ

Bバージン

あとむのこの話しを聞く前から、色んな場面で山田玲司の「Bバージン」の主人公、秋とあとむが被るよなぁと思っていた。

もちろん全然違うんだけど、必死のオタ脱出→モテキャラ→原点回帰の流れや、情熱の傾け方とか、本気度合いとか見てるとどうしても。

そういうやつを狙って引きずり戻しているわけじゃないんだけど、分かってしまうってのは確かだ。すまんな、かなり早い時期に気付いていた(笑)。でも、この世界、捨て去るにはもったいないだろ。分かるやつだと信じたからこそ、だ。

あとむは可愛い嫁さんと娘に恵まれながら、着実にオタ人生を歩んでいるわけで、どちらか捨てなければいけない人がいることを思えばかなり幸せなんじゃないかと勝手に私は思っていたりする。もちろん、当人の努力あってのことなので、純粋にすげーって思う。

ちなみに、Bバージンを教えてもらったのは、大学時代の後輩で、彼は高校時代にオタ脱出してバンドに転向したモテキャラだった。「Bバージンは俺のバイブル」だそうだ。貸してくれたのは仲間になれってことだったみたいだけど、当時セーラームーンにどっぷりつかっていた私は、逆に彼を引きずり戻そうとした。が、題材(せらむんではない)にも問題があって、あえなく失敗。あの時代、良質のアニメは少女漫画原作のものばかりでなかなか厳しかったのだ。

人のこと論評するばかりじゃずるいので、自分自身についてもちょっとだけ書いておこう。多分、誰にもちゃんとは話したこと無いんじゃないか。

実は「俺もモテキャラに」ってことは考えたことはある。けど、そこまでやる根性は無くて今に至っている。そもそも動機が薄弱なのだ。

アニメは小学生でさっさと卒業。10~18才頃の興味はもっぱら宇宙物理学、日本、中国の古典文学。その他にも本を読み漁っていた時期でもあり、大人も含めて周りの人間が馬鹿に見えて仕方なかった。親父は今でもモテキャラだし母親も美形だった。中学くらいまでは女の子と自然と仲良くなったりしてたのはそういう背景があったんだと思う。
#すげー嫌な奴だったと思う(^^;

間違いなく素質はあったが、玉磨かざれば光なし。高校以降、徐々に周りの連中も自分を磨き始めるので、私の多少の優位は簡単に覆された。激しくモテなかったわけじゃないのが、逆に仇になったような気はしている(苦笑) かと言って、それほど悔しいわけでもないので、ファッションとしてモテたいって思うことはあっても、本気にはならず。だらだらと今に至る。最近は、そう思うことさえない。

当然の結果として、社会人になってからは全敗である(笑) 今年も一回やらかした。この分だと今後もこんな感じで行くんじゃないかなぁ。大体、フラれても本気で悲しくなったりはしないみたいなんだよねぇ。どこか壊れてるんじゃないだろうか>おれ